えいごリアン・コーナー


「えいごリアン」の中に見える ≪ことばの学びのプロセス≫
「えいごリアン2000〜2001」制作に関わり、子どもたちと一緒に番組を見る機会を 重ねているうちに、私はたくさんのことを学ばせていただきました。その折々の私なり の気付きを思い出すままに書き留めておこうと思います。 @How many cards do you have?   ジャニカが読み手になって、マイケルとユージさんがカルタ取りはスポーツとばかり のアクロバティックな熱戦を繰り広げます。そして取ったカードの数を数える場面。マ イケルは澄まして上手に数える、ユージさんは自信がないのでジャニカに手伝ってもら う、その次の場面では、もう1から10までは自信を持ってユージさんも数えられる、で もカードはもっとある、どうしよう?!そのときにはマイケルが数え続けるので、その 後についてユージさんが Eleven! Twelve! と無事に数え終わる、という作りになって います。これは、収録の直前に中村有志さん(ユージ)が提案してくださったものでし た。スクリプトにはそこまで書いてなかったのですが、リハーサルの中での細やかなア イディア出しの中で決まりました。まさに不安を抱えた子どもが切り抜けるテクニック です。完全に教えてから言わせる、というのではなく、こちらからの気遣いで思わず言 えてしまう場面つくり。私自身が授業の中で子どもの発話を促そうとするときに、感謝 と共に今も時々思い出しています。 A「"マチガイ"は財産だ」ということ  「えいごリアン2001」の放映が2002年3月に終了した夏、『これならできる!小学 校英語〜先生のための「えいごリアン」徹底活用術〜』という30分番組5回を放送しま した。その第2回目のタイトルは、「"マチガイ"は財産だ」でした。   この番組のガイドブックが発刊されましたが、そのp.14にも、《「えいごリアン」の 基本姿勢の一つに、「間違いを直さず、むしろ学習の機会として大切にする」というこ とがあります。"間違い"は悪いことではなく、言語習得の大切な過程だと考えているか らです。》と述べて、2000年目の第8回の番組を例に解説しています。  この回に限らず、「えいごリアン2000〜2001」40本の中には、子どもだけでなく、 大人もだんだん英語を上手に使えるようになっていく過程で思わず口を滑らして間違え てしまうような「問題発言」が各所に見られます。「あぁ、授業をしていてもクラスで こんなことがよくあるな」と思わせられるものばかりです。   Help me. といわれると、Help me.と鸚鵡返し、This is me.と写真を見せられると、 相手の写真を見ながら This is me. と言ってしまう。言われたことを分かったよ!と伝 えたくなって、言えるところだけ繰り返す、分からなくても相手を安心させようとして、 Yes!と応じてしまう。分かった振りをするわけじゃないけれど、間が持てなくなった 窮余の一策。  完全な文章を言わせようとして、何度も繰り返し練習をさせる、という無理強いをし ていないでしょうか。本当は文法違反になるのだけれど、単語を削って、子どもが言え るように文章を短くして言わせてしまうことはないでしょうか。全員が言えるように、 と手拍子やリズム・ボックスやウッド・ブロックや、メトロノームなどを持ち出してリ ズムを取って言わせる、とても現実には起りえないような英語の音の流れを作ってしま い、繰り返し練習を強いていないでしょうか。そんな授業がある中で、番組では、「い いじゃないの、あなたの言いたいことは分かったよ」という信号を目や口元で発信しな がらカタコトの話を続けると、立派にコミュニケーションは成立。満面に笑顔を浮かべ てその場面を終了。    この「えいごリアン」からのメッセージが一番分かりやすいのは、ミニ・ユージが頑 張っている「チャレンジ・コーナー」です。そこだけを続けてみていると、教師たるも の授業を反省する良い材料となります。 B「ナットウ・オムライス」をご存知ですか  これも、番組を使って授業をしていたときに偶然に起こった、私にとっては"大事件" でした。放送を繰り返して視聴しながら活用してください、ということで「徹底活用術」 でも収録してある一場面です。  マヨ・ケチャ・コーナーの人気者のソイニシキがマヨ・ケチャ・レストランにやって きて最初に注文したのが "Natto on rice!" だったのです。「ソイニシキは最初に何を 注文したかな What did he order first?」と聞かれて、全員が「ナットー・ライス」 と答えたと思ったら、一瞬遅れて一人の男の子が「違うよ!ナットー・オムライスだよ!」 と確信を持って答えたのです。こういうとき、表情を変えないようにして「シメタ!ヤ ッタ!よくぞ言ってくれた!」と心臓の高鳴りを抑えるのに苦労します。「絶対?」 「ゼッタイ!」という子どもの自信に満ちた表情に、「じゃぁ、もう一度」と番組を見 せました。子どもたちは1語も聞き漏らすまいと真剣に耳を澄まして画面を見つめてい ます。  「ホラ、ナットー・ライスじゃん!」「ホラ、ナットー・オムライスじゃん!」殆ど 同時に子どもたちは1対30数人の目がぶつかり合いました。「いい耳しているね。ちゃ んと Natto on rice の音が聞こえたのね」とその場を締めくくりましたが、子どもたち はナットー・オムライスでないことだけは分かりましたが、なぜ私がうれしそうな顔を していたかにはあまり気を留めていなかったようでした。   これでいいのです。もし、この"大事件"を思い出すことができる子がいれば、「あぁ、 これかぁ、前置詞のon だったのか」と高3になるまでのどこかの英語の授業で納得がい ったかもしれません。Natto on rice.で on を納得させなくても、充分理解できている はずです。それより、この小さな音を聞き逃さない耳があの4年生のときに育っていた、 ということのほうが大事なのです。「ナットー・オムライスだよ!」と頑張ったユーち ゃんのまんまるの瞳が、今でも目に浮かびます。                           久埜 百合 (中部学院大学)

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