ぼ〜ぐなん広場 (49) 春休み号 |
梅の花が満開、そろそろ小さな花びらが木の周りに散り敷いて、雪のようです。卒業式 を待つばかり、今年度のまとめをして、春休み中のクラス替えなどにも思いをめぐらして おられる先生方が多いことと想像しております。 そんなときに、新しい学習指導要領が公表され、来年度以降の学習内容について考える ことが増えましたね。この「広場」にお立寄りの先生方は、特にこれからの「小学校英語」 の在り方について、他の地域で、他の学校で、どう対処されようとしているのか気になっ ておられるのではないでしょうか。実は私もその一人です。 ◆5・6年生は、教科ではなく領域としてではあるが、週当たり1回、年間35回の授業 を、「外国語活動」ということで必修とする。 これは予測されていたことではありますが、改めて、それで?4年生以下はどうするの? 1年生からやってきて、一応の効果も上げてきたし、その指導方法も培ってきたけれど、 今までのように続けていいの?という実践校の先生もあれば、数少ない、英語について は全く触れてこなかった学校では、「え?やっぱりやらなければいけないの?5年生か らの指導方法って、何から始めるの?」という不安もおありでしょう。実際に私のとこ ろへそのようなお問い合わせ、ご相談が来ています。 中学生になると、ガマンしてでも自分のために予習復習をして学習したことを身につけ ようとする能力が育ってきます。その中学生が週4時間学習できるのに、知的には中学 生に近くてもまだまだ子どもらしさの残る5年生が、週1回だけ英語に触れていく活動 を経験するのでは、子どもたちの英語を身につけようとする期待を満足させられるでし ょうか。不安が残ります。 ◆中学の前倒しではない、英語を教えるのではない、英語学習へ向けての「素地を養う」 のだ、と指導要領は説明します。その「素地」ってどんなもの?どういう力をつけるこ とが「素地が出来た」ということなのでしょうか? 英語独特の音声に慣れる、聞こえてくる英語を理解しようとする逞しさが芽生える、意 味を取り違えたり、カタコト混じりのような英語になっても、少しでも英語を使ってみ ようとする態度が生まれる、そんな段階にいたることを「コミュニケーション能力の素 地」が育ったといえるのかと考えます。 ◆私も「素地」とか、「英語学習の苗床づくり」とかの表現を使って、中学に続く英語習 得の基盤を作る指導の基礎基本について機会あるごとに話したり書いたりしてきました。 そして、その基底に、「どんな英語をイメージして、そこまで辿り着けるように道を切 り開くか」ということを思い描き、アクティビティの種類を考え、指導法を練ってきま した。この「どんな英語を使える人になるように指導したいか」というイメージが明確 でなければ、「素地」という言葉がとても空虚に響くだけだと思います。 歌を歌い、体を動かし、大きな声で表情たっぷりに英語を言わせても、その英語のアク ティビティが、先々どういう英語と結びつくのか曖昧であれば、授業そのものが曖昧に なると思います。歌は、どのような目的で、どのように歌わせるのか。英語を聞かせる ことが大切といっても、どんな聞かせ方をして、どのような応答を子どもたちに求める かが肝心で、そのようなきめ細かい指導の積み重ねが素地を育んでいくのだと思います。 ◆ここは、ぼーぐなんの「広場」なので、敢えて申しますが、30年近く、ぼーぐなんの 教材で私が狙ってきたものは、スタンダードな、世界の人たちとコンタクトの取りやす い、そして、学習を続ける機会を得られれば、英語で新聞などからの情報を得るための 運用能力を伸ばすときの基礎となる、更に、英語以外の外国語を学習したくなっても、 その学習方法が垣間見えるような学習能力を培う、ということでした。 これから、どんな小学校英語が日本中の小学校で始まろうと、このように「慣れ親しま せる」英語の質を考え、継続的に学習が進んでいく方向を見定めて授業内容を精選してい かないと、思わぬ落とし穴にはまってしまう心配があります。子どもたちから、「いいん だ、小学校英語はソコソコで。中学からやり直すから。」などと言われないためにも、文 部科学省から出てきた新しい展開に向かって歩み始める今年、気を引き締めていきたいと 思っています。 久埜 百合(中部学院大学) |
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