この頃は、以前ほど耳にしなくなりましたが、中学校や高校の英語の指導が、どうも機械的な練習
に陥りがちだ、という反省から、しきりにmeaningful interaction ということが強調されたことが
あります。
meaningful interaction 意味のある言葉のやり取り――言葉なのですから、意味のないやり取り
をするなんて、おかしいじゃないか! あまりにも当たり前の指摘、と思われるかもしれませんが、
英語の時間には、英語のルールを教えようとするので、とに角繰り返して練習することに教師も
生徒も熱中して、 Is this a pen? Yes, it is. Do you like ice cream? Yes, I do.
Do you like chocolate? No, I don't. 男の子も一緒に声をそろえて I am a girl. I have
a nose. Do you have two eyes? と、怖ろしいような「言葉のやり取り」をしていたのです。
その反省が起こって、コミュニカティブであるべきであるということで、meaningful interaction
の大切さが唱えられました。 かれこれ30年以上も前のことになると思います。
その頃既に子どもたちに英語を教えていた私は、「え?!」と思いました。
コトバって、そもそもコミュニケーションでしょ? 書こうと、話そうと、読もうと、聞いていようと、
これすべてコミュニケーションじゃないか!と呟きました。
私に、このことをすぐに考え付かせてくれたのは、やっぱり子どもに教えていたからかもしれません。
子どもに初めから英語のルールを教える、なんて無理ですから。
聞かせるにしても、文字を見せるにしても、ルールとして与えたのでは、たちまち子どもにソッポを
向かれてしまいます。意味ないじゃん!ということです。
そうではなくて、意味があるから聴いていて面白い、話してみると相手が何か答えてくれるから
面白い、書いたものを見せると、相手がこちらの顔を見る、分かったんだな、と思うから面白い、
ということです。
初めから決められたことを口にして言ったり、書いたりするのは、子どもにとってつまらない練習
だから、表情が曇る、無意識に手を抜いてしまおうとする、だから声にも力が入らない、 という
ことです。
正直で、感じたことがすぐに表情に出てくる子どもに教えるのには、 meaningful interaction
しかないのです。
ゲームという名のペア・ワークと称して、教室内で歩き回って出会った相手に Can you walk?
Yes, I can. 大好きで朝ごはんに食べてきたばかりなのに、Do you like natto? No, I don't.
教室にいるのに、Where are you? I am in the kitchen. というのは、練習のためのinteraction
になってしまいます。 兎角に英語教師は、この落とし穴に嵌りやすいのです。
だからと言って、挨拶にHow are you? は付物ですが、Fine, thank you. は常套すぎるから、と
I am hungry. I have a headache. と答えさせる風潮がありますけれど、初対面の人にそんな
答え方をされたら、さぁ、あなたならどうする? これも、「挨拶」というルールを教えようとする
落とし穴にはまってしまった結果でしょう。
英語を教えるときには、その表現を使う場面設定が大事です。
表現活動で子どもの声に力が籠もらなくなったら、「ハイ、もっと大きな声で!」という前に、
場面設定がおかしいのではないか、と反省したいものです。
久埜 百合 (中部学院大学・千葉大学)
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